八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
2008年07月01日

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
古事記に記載された日本最古の和歌といわれております。
神代の昔須佐之男命(すさのおのみこと)とくしなだ姫が宮造りの地として須賀の地を選ばれ、やがて宮殿が完成したとき、お二人のご結婚を祝福するかのような雲が、幾筋もむくむくと立ち昇りました。その情景を、須佐之男は歌に詠まれました。この三十一文字から和歌がはじまり、万葉集、古今和歌集などへと受け継がれていきました。
「八雲立つ」は出雲の枕詞として使われています。
その出雲の国に八雲村という村があります。
先日お客様の送迎で、この八雲村にまいりました。
そこで大きな神社を発見!
名前も「熊野大社」
出雲大社は有名ですが熊野大社って??
と思い、紀の国の熊野とつながりがあるのかなと思っていましたが、
なんとこの熊野大社!、出雲大社より由来のある出雲の国一の宮だそうです。
熊野大社
出雲国風土記には熊野大社と杵築大社(現出雲大社)の二社のみが大社であり、熊野大社が筆頭だった。 出雲国造神賀詞でも「出雲の国の青垣山の内に、下津石根に宮柱太敷き立て、高天の原に千木高知りて坐す伊射那伎の日真名子、加夫呂伎熊野大神櫛御気野命、国作り坐しし大穴持命、二柱の神」と先に熊野大神の名が出る。
往古、出雲で炭焼きを業としていた有馬氏が遙か紀の国に移動したと言う。三重県の熊野市有馬が落ち着き先であったか。ここにも伊射那美神を祭る花窟神社が鎮座する。また、途中かとも思われる御坊市には熊野(いや)神社が鎮座、由緒には、「往古出雲民族が紀伊に植民する際にその祖神の分霊を出雲の熊野より紀伊の新熊野に勧請する途中、当社に熊野神が一時留まりませる」とある。 「いや」と読ませて、伊射那美神であるので、揖屋神社も同じ系統かも知れないし、また阿波の祖谷(いや)の入り口にも延喜式の伊射奈美神社[イサナミ](現在の高越神社か)が鎮座している。 黄泉の国の神、根の国の伊射那美神の原郷が出雲にあったのかも知れない。
その熊野大社をすぎてすぐさきに、県道53号線が峠に差し掛かり、車1台が通れるのが精一杯の場所が!

お客様の送迎にいろいろな場所へ参りますが、今回はあまりに道が細くてびっくりしました。
近くには「岩室」や「須賀」などという地名もあり、歴史を非常に感じる地です。
海色・湯の宿 松月 公式ホームページ
皆生温泉 松月